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  フランクフルトブックフェアに出展します

10/14-18の間フランクフルトブックフェアに出展します。世界最大の本と学術と版権売買の場です。世界中から7400もの出版社や著者、出版、学術機関、図書館、著作権利、映画制作、ゲーム制作などの幅広い分野の関係者が集まります。今回はオンラインでの開催となりました。残念と言えばそうなんですが、現地でしか見られなかった催しに簡単に参加できてしまいます!また、7400の出版社をすべて回る事もできてしまいます!!(これは多分いつも)ちょっと見てみるのも面白いと思います。


Frankfurter Buchmesse
Special Edition 2020 ウェブサイト
https://www.buchmesse.de/en



とは言っても、やはり実際に人と会って話したいものです。最近は人と会う機会が減って、その意味を改めて考えてしまいますね。


10/13更新

  捨てられない

前回古い自転車のお話をしましたが、私は物を捨てるのが苦手です。とは言っても、ごみに埋もれて暮らしているわけではありません。むしろ物の少ない生活をしていると思います。捨てるのが苦手なのは まだ使える物 です。まだ使える物を捨てようとすると、「まだまだやれるのに・・・」という声が聞こえてきます。その悲しい声を聞きたくないので、物を選ぶ時には自ずと慎重になります。もうどうにもならないくらいまで使い切ったあと、「長い間お疲れさまでした」と言いごみ箱に入れる時には、あの声は聞こえてきません。状況が変わり要らなくなった場合でも、極力他の居場所を探します。

人それぞれ使い切ったとする基準も違うでしょうし、単に私が貧乏性なのもありますが、何だか 活かされていない 状態が嫌なのです。これは物に関してだけではありません、人にも当てはまります。今の社会には 活かしきろう という感覚が、希薄なように個人的には感じます。全てを活かしきれたなら 楽園 なんて、そこの角を曲がってすぐなのかも知れませんね。


5/15更新

  私の自転車 後編

部品を探して、あるお店にやって来た時のことです。新車のコーナーを抜け、最新部品の棚のまたその奥、薄暗く埃の積もった誰も来ない長期不良在庫(失礼)の棚に、

ありました!

いったい何十年ここにあったのか、思いを巡らせずにはいられません。君は要らない子なんかじゃないと、ぎゅっと抱きしめレジへ向かいます。会計しようとすると案の定困惑されてしまいました。時が経ちすぎて、在庫表から消え値段も分からなくなっているからです。そんな時は「800円でいいよ」みたいに値段が決まります(たいてい激安)。何だか時空を越えてむかーしのお店に来たみたいです。また、古い自転車について細かく聞いたり、古い部品を買ったりすると、お店の人に興味を持たれてしまいます。話し始めると互いに止まらず、気がつくと二時間も話し込んでいたりします。何となく自転車屋さんは、本当に自転車好きな人がやっている気がします。部品探しの旅の間に、たくさん自転車の話をできてそれはそれは楽しかったです。お店の方も良い人ばかりでした。

こんな事を繰り返してなんとか部品を揃えましたが、ここからが本番です。自転車をバラバラに分解し、折角なのでフレームのパイプ内側も掃除します。各部を分解、掃除、注油した後きれいに磨いて取り付けました。ひび割れたタイヤとチューブ、手に入れた数々の部品も全て交換です。延べ一週間くらい掛かりました。思い立ってからだと、二年近く掛かってしまいました。しかしその甲斐あって、ペダルを漕ぐ度に全体がしっかりとしたのが伝わってきます。今までこんなにも力が逃げていたんだと実感し驚きました。逆にフレーム自体は古いままなので、しわ寄せが行かないかちょっと心配です。

格好があまりにも良くなったので自慢してやろうと、わざわざ友人を呼び出し見せびらかしました。当時と同じこの自転車で、いつかもう一度その友人と何百キロの旅をしたいなと思います。


4/28更新

  私の自転車 前編

私は27年前に作られた自転車に乗っています。当時少しだけいい自転車で、まだしっかりしています。整備は欠かさずしてきました。見た目も3メートル離れて見れば新車です(たつのいえ調べ)。とはいってもくたびれる所はくたびれます。そこで、痛んだ所を最新のものと入れ替えて、性能と外観の大幅向上を目論むことにしました。自分の体力はさておき、最新車を軽くぶっちぎるのを妄想し夢が膨らみます。ほくそ笑みながら部品を調べ始めると、規格が随分変わってしまっているのに気づきました。というより自転車部品はあまり規格化されて来ず、汎用の部品が限られるということです。更には、古すぎてもう普通には手に入らない部品もありました。いっそ買い換えてしまおうかと思いましたが、共に過ごした時間が思い出され捨てることはできませんでした。となれば、手に入らなくなっているものを見つけ出すしかありません。 このご時世ネットのどこかには転がっているだろうと探してみますが、何日経っても見つからないことに愕然とします。どうにもならず二ヶ月ほど経った頃、はたと思い当たりました。古くからやっている大きめの自転車屋さんの在庫にあるのではと。実はそういった所には、いつからあるのか分からない部品が、埃を被って大量に眠っている場合が多々あります。誰かに先を越されてはいけませんので、早急に暇を見つけて(たいてい暇ですが)心当たりのお店を巡ってみることにしました。

つづく


4/24更新

  本棚

少し前の話になりますが、とある故人の本棚を見る機会がありました。それは、若干の後ろめたさを伴う刺激的な行為であった事を思い出しました。本棚には、その持ち主自身がはみ出している様に感じるからです。

私は一度読んだ本を読み返すことは殆どないのですが、感性を近くに感じた著者の本を、本棚に永久収蔵することにしています。日々の暮らしの中で違和感を感じた時、本という著者の抜け殻(魂という方が一般的かもしれませんが)を抱えながら、あの著者ならきっと分かっているだろう、そしてこう言うだろうと、思える(思い込める)事で私は少し落ち着きます。改めて本棚とは奇妙で異質な空間であると思わされました。


3/13更新

  あけましておめでとうございます

子

今更ですが、あけましておめでとうございます。のんびりしすぎてしまいました。

忙しないねずみの世界に比べれば、まだましなのかもしれませんが、私は最近の世の中のスピードに付いて行けません。技術革新もそうですが、映画や漫才まで速すぎです。感情移入する暇さえありません。反対に子供のころ違和感なく見ていた筈の物でも、いま見るとやや遅い感じがします。これは、ある速度までは付いて来られたけれど、もう無理という事なのでしょうか?遥か昔はもっともっと遅かったのでしょうか?このさき一体どこまで速くなれるのか、それはそれでちょっと興味があります。流れの傍らからそっと見届けようと思っています。


1/1更新